もしも
究極の幸せというのが存在するのなら
高揚感に耐えられずむしろ悲しんでいただろう
もしも
究極の愛というのが存在するのなら
果てしなく求めるだけの人生だったろう
もしも
究極の不幸というのが存在しても
いつか幸せに転じるという法則を知れば
落ち込んだとしても淡々と生きることぐらいは
できるだろう
もしも
究極の憎悪が存在しても
怒りだけでは生きられず
やはり悲しみへと転じていくだろう
全ては同じところから出て同じ場所に行き着く
外側からどう見えたにしろ
自己が万華鏡になっているだけなのだから