2022-03-06 日々各々 仮想現実 詩人は嘘をつく 大抵のことは あとになって「ああそうなのだ」と気づかされる 不幸自慢も幸せ自慢も 結局は誰かと比べているだけで いっときの高揚感があるにすぎない SNSがその象徴だとは思わないが “流れ”や“閉鎖的な場”に心を預ければ よりどころ以上のものにもなり 存える向きも少なくはないはずだ(例によって反対もまた然り) 孤独と不幸は同じ意味ではないにしろ 愛と幸せはできれば結託させときたいものなのだが おや失礼 これもまた自慢話と聞いてしまう向きがあるようだねえ