猫街暮らしの詩人さん

猫街に暮らす詩人さんのひとりごと

趣味

昔の男は、歯磨きが趣味だった。

外国製のフロスや当時まだ珍しかった糸ようじを仕入れてきては、これで歯医者とは縁切りだ、などとほくそ笑むのが常であった。

結局は、やりすぎ、磨きすぎだとかかりつけ医に叱られるのがオチなのだが。

 

うまくいかなくなったのは、水道代でもめたのだ。多分。

美しい歯の男は、しかし、垂れ流していた。

蛇口閉めてよ、と度々大声を出すのにも疲れ、散らかった糸ようじの束にも飽きて、晴れではなかった夜に、ふたりは終わった。

 

好きが大嫌いになる。

または、好きだったという事実も感覚も忘れる。

なのに、受け取っていた。

 

「禍」が始まった翌年、混雑していないかどうかをアプリで確認し、ドラッグストアに向かった。

 

「ワイヤータイプの歯間ブラシ、奥歯用のピック、フロス」

 

メモを見ながら、昔の男が使っていたものより小さめのサイズを選ぶ。

今日の買い物はそれだけだ。

 

水を垂れ流す人はいなくなったのに、趣味だけがいつの間にかこちら側へとやってきた。

好きが嫌いになり捨てたはずなのに、うっかり拾い集めてしまう。

未練と笑うなら笑え、とばかりに鏡に向かって大きく口を開けた。