好きの濃度は
それぞれでいい
なんなら「好き」が人生の中になくても
それはそれで面白い
いや
「好き」の一言だけで済ませず
気になるだけ
なーんか引っ掛かる
ちょっとやってみようか
それだけだっていい
がむしゃらに「好き」を探すのは
誰かと比べてしまう危険を孕んでいるし
「好き」がない人生なんてと
嘆きのループに巻き込まれがちだ
長ーいこと
途方もなく長ーいこと
「好き」を見つけられずに大人になった
そんな時間の費やし方だって
あるのだから
“引き”でみて気づいたっていい
“渦中”にあって見えにくくなったっていい
好きの濃度は
それぞれでいい
なんなら「好き」が人生の中になくても
それはそれで面白い
「好き探し」に縛られ
すり減っていくよりずっといい