大きなのっぽの…という歌い出しの曲ではないが、とにかく時計の多い家に生まれ育った。
祖父母から受け継いだもの、贈答品、何かの懸賞、まだ珍しかったデジタル表示のもの。
バンドの交換ぐらいは父も見よう見まねでやっていた(器用な人ではあった)。
あるとき、その“時計の多い家”に寝泊まりすることになった。久しぶりに留守番を頼まれたのである。煮炊きも自由にやってくれ、とのありがたい申し出。二つ返事で引き受けた。
それこそ勝手知ったる何とやらで、冷蔵庫の食材で簡単料理を作ることにした。
同時進行で、浴槽に湯を張る。キッチンが大体片付く頃には、あったかい時間が待っているというわけだ。
コトン…カチカチカチ。
かすかな響きがゆったりした空間に紛れ込んできた。
この家に着いてすぐ確認したのだが、いつものように時計は全て止まっている。
長湯を楽しんでいると、再びどこからか「コトン…カチカチカチ」がやってきた。
まだ、いるのか。
思わず呟く。
初めて遭遇した時は慌てて浴室を飛び出したが、相手は小さな音を立てるだけ。それ以上のことはもう起こらなかった。
時計の多い家で、かつて暮らしたものたちの名残のような夢のようなものらしい、と気づいたのは、深夜突然顔の上に古い写真が降ってきたからである。
それはそれはたくさんの時計に囲まれた、一家団らんの一枚があった。
一家団らんなど、一度もなかったのになんと不思議な。
ところで、時計の多い家は実在する。
ただし、ここに書いたことには幾らかの脚色を施している。ご了承ください。